秣(まぐさ)の繰り言

もう70歳を過ぎた男の繰り言です。

昔、昔の、50年くらい昔の話。

お題「「中野サンプラザ」の思い出」昔、昔の話。

山手線が、「やまてせん」から「やまのてせん」に変わったのは、俺がまだ田舎にいた頃。受験のため上京してきた時には、もう既に「やまのてせん」と呼ばれていたと思うが、俺や仲間達はまだ「やまてせん」と言っていた。「中野サンプラザ」が出来たのは、一体いつの頃だろうか?

俺は大学の1回生の時は千葉の習志野、2回生から御茶ノ水(こう言うと悪名高き我が大学名が判るか)。2回生の時、下宿を荻窪に移した。友人は中央線沿いでは、新大久保、阿佐ヶ谷、中野。あとそれ以外だと新板橋や落合などで下宿していた。あっ!1人、東中野にもいたなー。

つまり、俺や友人達の行動範囲は、ほぼ新宿か中野(大学のある御茶ノ水は入っていない)。飲みに行くのは新宿のコンパ。歌舞伎町コマ劇場前が待ち合わせ場所。或いは紀伊国屋書店の前。

では中野と言えば、もうすでに「中野サンプラザ」はあったが、残念ながらせいぜい待ち合わせに使うぐらいで、近くのアーケード商店街(サンモール?)が俺達のメインの場所。その通りを俺達は、どういう訳か「中野ブロードウェイ」と呼んでいた。本当の「中野ブロードウェイ」が、どんな建物だったかは覚えていない。「ブロードウェイ」で飯食おうは、アーケード街の定食屋で食事しようという意味。アーケード正面のでかい看板の下をくぐり、商店街から小路をちょっと入ったにあった小さな定食屋。今から思えば本当に「ハンバーグ?」と思うけど、でかいステーキほどの大きさで、赤身がかった平らなひき肉の塊を焼いた「ハンバーグ」。そのハンバーグとライスしかなかった「ハンバーグ定食」。美味かった~!安かった~!まさしく貧乏学生の味方。金が無くなって、仕送りまでまだ日にちがあるなんて場合はもう「ハンバーグ」食いに行こうが合言葉だった。

あとはこれも「ブロードウェイ」。商店街に面していた、これも小さな店。食べていたのは「ロールキャベツ定食」。

凄くでかいロールキャベツが1つ。深い皿に入っていて、汁がロールキャベツ半分くらいの高さまで滴っていた。くたくたに煮込まれているキャベツがしっかりと巻かれてあり、破ると中には美味く蒸されたひき肉が出てきて、すごく美味かった。量も多く、安く、学生だけでなくサラリーマンにとっても大満足の食事だったと思う。

どれだけ美味かったかと言うと普段「贅沢は言わないが、せめて食事くらいは、それなりに美味しく食べられる物を食べたい」と言っていた奴が、このロールキャベツを食べた後一言、「うめー!」。

それらの店も、俺が卒業する頃には閉店してしまいましたが。

 

中野サンプラザ」の思い出では無くて、俺と仲間の学生時代の思い出になってしまったが、食べに行く時(これがメインだが)や遊びに行く時、よく「中野サンプラザ」で待ち合わせしていた。と記憶している。

 

まぁ、今から50年近く前の思い出。

だいぶ、間違えて覚えているかも知れないが、東京離れてから、あと2,3年で50年。だいぶと言うか、全く変わっているだろうなー!もう中野行っても、何がなんだか分からないだろうなー!(当たり前だ~!)