秣(まぐさ)の繰り言

もう70歳を過ぎた男の繰り言です。

「あまり話したくない思い出」話したくないけど話します。

お題「高校生活のいい思い出とあまり話したくない思い出」

このお題、随分前から気になっていたんだけれど「高校生活のいい思い出」なんか無いし、「あまり話したくない思い出」は、「思い出したくもない思い出」と理解して、それこそ話したくないし。と言うことで、気にはなっていても、まぁ俺には書けないお題と思っていた。

この夏、俺もとうとう70になった。とうの前から身体中あちこちの骨が、コキコキ(古希古希)と鳴っていたが、本当に古希になってしまった。

ついこの前、中学の同級会の案内が来た。5年毎に開かれる同級会の案内だ。60の時は「還暦」の祝いも兼ねてとあったが、今回は何も書いてなかった。ただ、案内状の最後に「これで最後かな?」と書いてあった。まぁ、段々参加者も少なくなってくるし、仕方ないけどちょっと寂しいかも。

で、ちょっと中学の頃を懐かしく思い出していたが、その時このお題も思い出した。中学は楽しかった思い出が多いが、高校時代は「思い出したくもない思い出」が多すぎて。でも「いい思い出」は無いしなぁ~。と言うことで、「あまり話したくない思い出」を1つ。

あれは多分3年生の「体育祭」だったか「文化祭」だったか、学校の一大イベントの時。そのイベントが終わった日の翌日。その日、建前上学校は休みだった。実際は、生徒、先生全員が登校し、後片付け清掃をすることになっていた。朝みんな教室に集まり、清掃の役割り、区分け、段取りなどを打合せし、それぞれの場所で作業に入った。俺たちの担当の所は2時間くらいで終わった。早く終わったところは、まだ終わっていない場所に手伝いに行くことになっていて、俺たちもまだ終わってないだろう所へ向かった。

その途中、廊下だったか、踊り場の片隅で同級生2~3人の姿が見えた。声をかけたと思うが定かではない。応えもあったか覚えていない。ただその時、なにか嫌な気がした。その同級生たちは、所謂クラスでも格好いいモテる連中だった。

その当時、うちの高校は極端に女子の少ない学校だった。1クラス40数人のうち女子は10人に満たないくらい。2年生のクラスでは、女子のいない「寡婦のクラス」もあったくらいだ。まぁ、その時は嫌な感じだけで、そのまま清掃に向かった。

全ヵ所清掃が終わり、教室に戻った。まだクラスメート半分も戻ってなかった。ただ女子は1人だけ戻っていた。

やがて少しずつクラスメートが戻ってくる。が、解散時刻の10数分前になっても男子10名くらい、女子は先程の1人を除いた全員が戻ってきてなかった。彼らが戻ってきたのは解散時刻ギリギリ。先生が教室に入ってくる直前だった。

その時の教室内の空気は最悪だった。重い沈黙が支配していた。誰かが呟いた。「掃除サボって何やっていたんだ。」

でも、その声は小さかった。彼等は「頭のいい、スポーツ万能で格好いい、モテる奴等」でクラスの人気者たちだったから。

後で分かったこと。それは、彼等が彼等だけの「打ち上げ」を行っていたということ。学校の近くの喫茶店で。

別に「掃除をサボっていた」訳でなく、ただ自分たちの担当ヵ所が終ったから、喫茶店に行ったらしい。言い訳だけれど。                早く終わった者は、他の所へ手伝いに行くことになっていただろう。と言ってもしょうがない。

それより何故女子1人残っていたのか?

誘われなかったのか?誘われたけど断ったのか?そもそも話じたい聞いてないのか?分からないけど、本当に嫌な気分だった。自分たちだけの「打ち上げ」をしたかったら、学校終ってからやれよ!本当に!世の中、自分たちだけで回っている訳じゃあないぞ!と言いたかったが、所詮「モテない男」の遠吠え。               元々、嫌いだったクラスだが益々嫌いになった。

その後、その時の気まずい空気など無かったかのように、クラスは特別何も無く過ぎ、卒業を向かえた。

俺はと言えば、明日明日受験と言う2月半ばに盲腸破裂!そして1ヶ月以上入院。その年の受験は全て不可能と言うとんでもない事態になった。卒業式にも出られなかったが、後でクラス委員が卒業証書を病院に持ってきてくれた。

嫌な思い出を書こうとすると、結構長くなる。まだまだいっぱいあるが止めとこ。

逆に「いい思い出」、特に無いなぁ~。

毎日、友人とダラダラ過ごしていたような記憶しか無いなぁ。まぁ、もう少し歳をとったら、思い出すかも。

或いは全て「いい思い出」になるかも。