秣(まぐさ)の繰り言

もうすぐ70歳になる男の繰り言です。

俺70歳、妻66歳。2回目の大阪旅行? No.2

やっぱ大阪、スゲー大都会!

2月2日は寒い日だったが、旅行の用意や計画の再確認などをして過ごした。分からないなりに何とかオンラインチェックインもしたし、夕方ペットをホテルに預けに行ったりして、なんやかんやで慌ただしい1日だった。

翌3日は朝6:00に起きた。飛行機の出発時刻は8:10。出発時刻の20分前までに保安検査場を通過しておかないとダメみたいなので、余裕をみて40分前までに検査場に着くようにと考えた。我が家から飛行場までは朝早い時間帯なら約30分くらい。駐車場から保安検査場までは5分で行けるだろうが、車は何があるか分からない。朝起きて着替えて歯を磨き、顔を洗って簡単な朝食を取ってそれから車でとなると6時起床がギリギリかってところ。

実際は、予定よりちょっと早く飛行場に着き、保安検査場もスムーズに通過できたため、だいぶ早く搭乗ゲートに着いた。

搭乗ゲート近くのソファーに座って待つことに。何もやること無くただ待つだけなので、何か手持ち無沙汰、時間が長く感じられる。日頃口煩い妻も珍しく大人しい。仕方なくスマホを眺めながら時間を潰す。

やがて搭乗待合室にアナウンスが流れる。グループ1の乗客から順番に搭乗出来るらしい。渡された券を確認すると俺はグループ3で妻はグループ4。そのうち係員が搭乗口で配置に着き、グループ1の乗客たちが並び、搭乗が始まった。となると次から次へと人が並び、列がだいぶ長くなる。本当、この人たちグループ1の人たちだけなのだろうか?少しして「グループ3、4の人」というアナウンスが聞こえ、妻と一緒に並び、搭乗ゲートを通過した。土曜日のせいか乗客は多く機内は混雑していた。席に座り窓の外を見る。相変わらずの曇り空。冬の日本海側の天気はこんな日が多い。大阪方面はどうだろうか?予報ではやはり曇りとあったが、少しでも天気が良ければいいなと思いつつ離陸の時を待った。

しばらくして、時間になったのかシートベルト着用のライトがつき、客室乗務員が機内を巡り、乗客や手荷物の状態を確認してまわった。やがてエンジンの音がしたと思ったら静かに動き出し、滑走路に出たのか急に激しいエンジン音に変わり、スピードがアップした。そして、坂道を登るような感覚で離陸していくのが分かり、窓から見える風景も地上が少しずつ遠くなっていった。左側の窓に地上が見えたと思ったら、徐々に景色が変わり灰色の曇り空が見え、反対側の窓に地上が見えて、飛行機が旋回を繰り返しながら上昇していくのが分かった。 そして厚い雲に入り、そこを抜けると真っ青で眩しい空が目に入る。眼下は真っ白い綿みたいな雲海だ!

飛行中は窓の外を眺めながら、時々雲の切れ間から見える地形を見ては今どの辺か推測していた。

時間にしてほんの数10分、機内にアナウンスが流れ「着陸態勢に入る」とのこと。少しずつ地上が近づいてくる。そして大阪の街並みが見えてくる。                              「へぇ~!凄いなぁ~!やっぱり大阪は大都会だなぁ~!」と、つい口に出る。関空では大阪からだいぶ離れていたせいもあるか、それ程感じなかったが、伊丹空港大阪市にある。大阪市全体の大きさや広さ、ビルの高さ、多さ、その形状の豊かさなど眼下の大阪市はまさしく日本を代表する大都会の1つだと感じた。そしてその大都会の中、俺たちの乗った飛行機は伊丹空港へと着陸した。

俺70歳、妻66歳。2回目の大阪旅行? No.1

沖縄旅行も札幌旅行もダメ!なら大阪?半年前に行ったばかりだけど!

「おっ、これ良いかも!」と言って妻に見せたのは俺のスマホの画面。そしてその画面にはANAの「今週のトクたびマイル」という文字が見える。ANAの通常より「少ないマイルで旅行に行ける」というお得なサービスだ。幾つかの対象路線があるが、「今週の」とあるように毎週その路線が変わる。そして、この週は我が街の飛行場から「札幌」か「大阪」が1人片道3000マイル、「沖縄」が6000マイルという、ここ数ヶ月で一番お得なマイル数だった。

年が明け正月の慌ただしさも1段落ついて、もうすぐ2024年も1ヶ月が過ぎようかという1月30日の午後だった。特に焦っていた訳ではない。が、コロナで2年続けて延長されていたANAのマイルの有効期限も今年の3月末で切れる。それまでに良い旅行先を見つけ、マイルを有効に使わなければとそう思い、毎週ANAのサイトを調べていた最中だった。

まず一番遠い「沖縄」を検討。我が街の飛行場から「沖縄」行きのANAは、1日1便しかない。しかも那覇空港に着くのは14時30分ころ。1泊では観光出来てもせいぜい1ヶ所か近場で2ヶ所ぐらい。もったいない。妻曰く「2泊3泊するだけの余裕はない、予算的にも日程的にも」とのこと。たぶん主に予算的に。と言うことで「沖縄」は却下。

次に「 札幌」を検討。何と言っても、札幌は2月4日から始まる「さっぽろ雪まつり」が魅力。但し、日程が問題。2月5日に妻が掛かり付けの病院で検査、そして俺が2月8日に別の病院の予約があった。尚且つ、ホテルの宿泊代が「雪まつり」前日から急に高くなっており、何と5割近く割高になっていた。一番のネックは気温。2月4日或いは6日でも7日でも最高で0℃、低いと最高温度-2℃と予想していたサイトもあった。俺も妻も寒いのは苦手。

で残ったのは「大阪」なんだけど、「大阪」は半年前に行ったばかりだしなぁ~!と思ったが、そこで妻が一言「大阪起点で奈良行こうか?」と。奈良もいいけど、行くのなら一度も行ったことの無い神戸とか姫路城とかが良いなと俺。こうなったら、ちょっと検討してみようか。

で、いろいろ妻と検討した結果やはり「大阪」へ。2月3日出発、1泊2日で1日目は姫路城、2日目は奈良東大寺興福寺。余裕があったら春日大社も見に。そう決めたのは翌日の1月31日の夜だった。

そして、2月1日航空券手配、ホテルを決めて予約。いつも頼んでいたペットのホテルは休みだったので、今回は違うペットのホテルを予約。2日の夕方預けに行くことに。後の計画、どうやって伊丹空港から姫路城へ行くとか、夜はどこで何食べるとか、ホテルから奈良に行く電車は、朝食は、昼はとかも全て妻任せ!不安はあるが楽しみの方が大きい!

本当、後から思えば旅行ギリギリだったんだよなぁ~!旅行から帰って3日後の真夜中に脳内出血で倒れたのだから。まぁ運が良かったと思うことに。旅行は行けて楽しかったんだから!

ある日突然、利き手の感覚が····

嘘だろう?右手が····緊急入院!

2月8日、まだ夜も明けてない何時かも分からない時刻に目が覚めた。最初、布団の中に何か邪魔な棒があると思ったが、右手では触れなかった。仕方なく左手で触れてみると、それは俺の右手だった。

まだ真夜中だったので、取り敢えず様子を見ることとして妻にも言わずそのまま寝たが、朝起きてやはり右手の感覚が無いのが分かった。妻に話しトイレに行って戻ってみると、妻は知り合いの医療に詳しい人と電話していた。その人曰く、大至急脳外科に行くようにと。それから妻は緊急の脳外科病院に連絡、手の利かない俺に服を着せ、たまにしか運転しない車で俺を病院に連れて行ってくれた。CT技師がまだ出勤してなかったのでしばらく待って、一番最初に見てもらった。CTの台までは歩いて行き当然、台にも自力でのった。ところが検査が終わって起き上がろうとすると「大丈夫ですか?起きれますか?」と声かけられ、車椅子まで用意されていた。そして、そのまま入院となった。

医者の説明によると、脳内出血していたらしい。出血は止まっていると思うが分からないとも。そしてその日の夜、全身癇けを起こし緊急措置室へ、看護師が大騒ぎしていたのを覚えている。その日を含め2、3日は、朝から点滴、トイレは尿瓶、風呂はなし、食事は出たがベッドの上でという生活だった。

まあその後の検査で本当に出血は止まっていたことが分かり、ゆっくり慎重に動く条件のもと点滴と尿瓶から解放された。これも医者の話しだが、出血範囲の割に影響のある障害が右手の指の感覚だったのはラッキーだったとか。とは言え、出血痕の状況の確認とか、癇け発作その他の監視とかあったみたいで1ヶ月間は治療棟で、その後は回復棟に移って、今日現在(3/13)はまだ入院中。

現在の状況として、歩ける、動ける、トイレも行ける、風呂も入れる。食事も普通に食べれるが、右手だと難しい。箸が持てない。フォークもスプーンも握ることは出来るが、指の動きが悪いので、上手く食べれない。と言うか食べれない。現在は左手で食べている。あと、字が書けない。鉛筆が持てない。等々不便なことが多くある。人間の身体とは、単に筋肉や腱が頭の指令する通りに動くから走ったり歩けたり、また手で物を持ったり投げたり出来るという訳ではなく、手や足、指その他あらゆる感覚が正常じゃあないと上手く機能しない、それらの感覚も凄く大事だと知った。

さて、いつ頃退院出来るか?退院出来ても後遺症は残るのか?残ったとしたらどの程度か?まだ分からないが、こうなったら仕方ない、ゆっくりと養生して治しますか。

1億円。どう使おうか?

お題「1億円あったらどう使う?」

1億円、えぇっ~1億円!「1億円あったらどう使う?」かだってぇ~?

う~ん、1億円。どう使おう?まず                  1、家を建てる。小さな家でいい!♪︎もしも私がぁ~家を建てたなぁら~♪︎           俺がいる町は田舎だから3,000万円くらいあれば、小さい家なら土地付きでけっこう良い家が建つと思う。

2、世界一周旅行に出かける。一体、幾らかかるのだろう?全然分からないけど、まぁ数百万円あれば行けるだろう、1000万円まではいらないと思う。本当、貧乏人だから感覚が分からない。

3、う~ん、う~ん!思い付かない!       何年もかかっていいのなら、毎日旨い酒、旨い料理を味わって生きていきたい。                  が、今の慎ましい生活、粗食だからある意味健康なのかも!旨い酒旨い料理を食べていたら、あっという間におっ死んでしまうかもしれない。止めとこ。

と言うことで、1億円あっても「半分以上は使い方が分かりません」し、2の世界一周旅行も紛争のあるところは嫌だし酒、豚肉禁止の国も行きたくない。となれば半分は旅行出来ないだろう。残るのは、1の「家を建てる」だけ。「1億円の家」?無理、絶対無理!税金払えない!今のボロ家でも税金払うのキツイなぁ~と思っているのに。

結局俺は、「1億円いらない、貧乏でも平和に過ごしていければ」それでいい人間です。

あっ、「お題」の趣旨と違った。じゃあ、1億円あったら使わないで貯めておく。いざボケて介護が必要となった時のために。これも「お題」の趣旨と違うか。

もし、1つだけ魔法が使えるなら?

書くテーマが見つからず、しばらくブログから遠ざかっていました。高齢者と呼ばれて数年。この歳で無趣味、人付き合いが苦手で筆無精、メール無精となると、なかなか話のネタになるような出来事も起こらない。「みんなのお題」も、なかなか書けそうな「お題」が見つからない。何か、俺でも書けそうな面白い「お題」は無いかなぁと思って久しぶりに来てみると、この「お題」。挑戦してみますかぁ。

まず、この「お題」。1つだけですかぁ?1つだけかぁ~。まぁ、そうだよね。なんでもかんでも魔法が使えたら人生楽で、それはそれで面白いかもしれないけど、苦労して何か成し遂げたという達成感はあまり無いかな。

と言うことで、「1つだけ魔法が使えるなら」どんな魔法が良いか?

まず一番最初に思ったのは、「何度でも生き返ってやり直せる魔法」。アニメによくある魔法。失敗ばかりの俺の人生に、一番必要な魔法だけれど、でもこれも結局のところ結果だけみれば成功だけの人生。勿論途中の苦労はあるだろうけど、ヤバかったら死んでリセット!また最初から、しかも生前の記憶があるから絶対成功。でも、必ず勝てるゲームってあまり面白くない。と思うけど。

じゃあ、1つだけ使えるのなら、どんな魔法。

うーん、やっぱり「空を飛べる魔法」がいいかな。何があったって晴れた日に「空を飛んで」回りの風景を眺めれば、結構気が晴れる。

嫌なこと、面白くないことがあったとしても「空を飛んで」いれば、まぁ「なんとかなるさ」と思えてくるのじゃあないかな。

なんか、やっぱり俺って「平凡」だよなぁ~。

古稀の同期会(高校)

俺を含めて、みんな「変わりすぎ~!」

中学の同期会が10月25日にあって、それから9日後、11月3日に今度は高校の同期会があった。この同期会、最初は出席するかどうか迷った。と言うのも高校の同期会は、今まで1度も出席したことがなかったし、今さら出席してもと言う思いもあった。卒業してから50数年。前回の同期会は10年前、還暦の歳。その時も、ひょっとしたら仲間だった奴と会えるかもしれないなどと思って迷ったが、背骨の圧迫骨折等を患い仕事も忙しくなって結局諦めた。                                  その前はいつあったのか?分からない。分からないけど、出席はしていない。何しろ忙しかったし、会社、仕事関係以外の飲み会なんてほとんど参加していないと思う。

まぁ、同窓会の方は毎年のように案内状が来るが、1度も参加したことはない。

ただ、今回は「古稀」になったし、仕事も辞めて時間的に余裕もあるし、長年無沙汰している友人に会えるかもしれないし、そして何より、もしかしてこれが会える最後のチャンスかもしれないし。と言うことで参加することに!うーん、誰も俺のこと分からなかったら、どうしよう!

案内状に会場は繁華街からちょっと外れた老舗のホテル、受付は15時から、開宴は16時からとあったので、15時半ごろ着くように家を出た。実際着いたのは半を少し回った頃。受付、会場は3階と言うことでエレベーターに乗る。降りると目の前に多くの、俺と同じような歳の男女が屯していた。勿論、全く知らない人たちばかり!

奥の方に受付があり、人をかき分けてその方向に進む。受付している人に名前を告げる。

「何組ですか?」と尋ねられたので、「9組」と答える。「え~と9組?無いな!名前~」えー!無い?困ったぁ~!

実は事前に参加申込書を送る際、何組だか書く欄があったのだが、俺は何組だったか覚えてなく、思い出しも出来ず、たぶん案内状送ってくれた人が同じ組の委員長だろうと思い、その組の番号を書いて送った。確かに、その人の名前に全く覚えがないのだが、まあ何組かも忘れてしまうような俺だから、委員長の名も忘れたのだろうくらいにしか思ってなかった。

さて、困った!どうしよう!「あっ!いや、彼こっち!8組!」                         と言う声が聞こえる。振り向くと、なにかどこかで見た顔。「いや~!久しぶり!」そう、彼は俺のクラスの委員長だった奴!名前は覚えていないが。

彼は受付に8組の名簿を見せ、受付はその名簿にチェックを入れて、スケジュール表をくれた。うん?芸妓の舞?何これ?

委員長と別れて、先に会場に入る。8組と表示のあるテーブルを見つけ席に着く。先客が1人。うん?知らねー!誰?この人!

相手もたぶんそう思ったと思う。互いに挨拶、自己紹介。「えー!嘘!いや~!お前変わったなぁ~!」と相手が驚いたように叫ぶ。え?知っているの?俺のこと!                    うーん、すいません俺は全然覚えてない!適当に話を合わせ、他のテーブルを見渡す。その間にも次々と同期生らしき人たちが会場に入って来て他のテーブルも席が埋まっていく。俺達のテーブルにも1人、2人と席に着く人がいて、挨拶する。俺の名前を言うと、そのうちの1人がスマホを取り出し「あ~あ!いたいた!これだろう?お前!」とスマホの画面を指差し、俺に見せた。その画面には高校の卒業写真が写し出されていた。卒業写真をデータ化してスマホに取り入れたそうである。へー!

「痩せたなぁ~、お前!」ふん、同級生だから許せるけど、お前呼ばわりは失礼だろう!太っていたよ、高校の時は、悪かったな!と思いながら、俺もいつしかお前呼ばわりしていた。まぁ、いいよな、同級生だし。

時間がたち開宴間近になって、また1人俺達のテーブルに来た。「よう!久しぶり」と俺以外の人たちが挨拶をかわす。その人も俺の方を見て、黙って頭を下げるだけ。ところが彼等の会話を聞いていると何やら俺のよく知る人の名前で呼んでいる。まさか?今来た奴って、あいつ?高校時代、割りとよく笑い合い、語り合っていたあいつ?嘘だろう!俺どころじゃあない!あいつ、スゲー変わったじゃん!

同級生最後の1人が席に着いた時、もう慣れた。50数年の月日は長い!最後の奴は見たことがあると思ったが、まさか高校の時の友人とは思わなかった。うーん、俺も変わったかも知れないが、皆んな変わりすぎ!

例によって例の如く、「嘘つけ!まさか、うわー!お前かよー!」と言う叫びが俺に向けて、響く。俺が皆んなに思う以上に皆んなが俺のことを「変わりすぎ」と思ったようだ。

開宴の時間となり、代表の挨拶、亡くなられた方の数、出席者の数などの発表、校歌斉唱(やはり高校でもあるか、校歌覚えてないんだけど)等々予定通りスケジュールがこなされていく。そして特別に「我が町の古き良き文化の存続」を推奨しているそうで、芸妓の舞の披露と続く。その後、乾杯!やっと酒が飲めて、アンコールの助けを借りて話かける。途中で他のクラスの仲間を見つけて、そちらの席に行き、また乾杯!俺達のテーブルで最初に会った奴も、名前の名字をもう高校の時から間違えて呼んでいたので、正しい名字て挨拶されても分からなかった訳だ!「えー!お前、だいさかと言うんかい?わー、間違えて呼んでいたかい?高校時代!」いや、でも普通、大坂って「おおさか」と言うだろう?「だいさか」なんて思わないよなぁ~!はは、高校時代から間違えていた。

最初は全然覚えてなかったり、分からなかったりでちょっと戸惑ったが、飲んで酔い思い出を話し合い、近状を語り合ったりしていく内、懐かしい昔のことが次から次へと頭の中に浮かんできて本当に楽しかった。

次の同期会ってあるのかな?何時やるか、まだ決まってもないだろうし、そもそも、開催するかも決まってないだろう。でも、もし開催されるのなら、また出席してもいいかな。と思った。

古稀の同期会(中学校)

中学の同期会「みんなで長寿を祝おう会」

10月25日に中学の同期会があった。古稀になった今年「華やか 古稀の同期会」と銘打って5年ぶりに開催された。俺達の中学の同期会は5年ごとに行われていて、5年前はどう言ったか覚えてないが、10年前の同期会は「還暦を祝う云々」(やっぱり覚えていないが)とか言う名目で開かれた。まぁ、5年ぶり久しぶりに懐かしいクラスメートに合えると思うと、年甲斐もなくワクワクしてくる。会場は5年前と同じで、バスで30分くらいかかる駅前のホテル。記念写真撮影のため遅れないようにと案内文にあったので、早めに家を出たつもりだったけれど、ホテルに着いたのは開会10分くらい前。間に合ったから良かったけど、ちょっと危なかった。

フロントで会場の場所を確認、2階ということでエスカレーターで上がる。脇の階段を登り降りしている人たちも数人いたけど全く知らない人たちばっかり。と、この時点では別に気にしてはいなかったが、2階に上がりロビーの前に集まっていた人たちを見た瞬間、思わず「知らね~!」。                             回りを見る。知らない人ばっかり、いや覚えていない人ばっかり!間違えた?いや間違えてないはず。

受付を探す。受付している人を見た時、「あぁ~」と安心する。彼はクラス委員長だった奴!安心して受付に向かう。                          「えーと、何組の何さん?」と聞かれた。「えっ?何?」一瞬凍る。こいつ、俺を覚えていない!5年前は覚えていただろう!

隣にいた女性が「覚えていないの~?」と言いながら、俺の名前を告げる。その瞬間、今度は彼が驚いた顔で俺を見る。

「え~と、変わったなぁ~!」と一言。                       今、フケたなぁ~と言おうとしただろう?ふん、お前は変わってないよ、5年前と。

時間となり、最初に記念写真を撮るため3階の撮影場所に行く。行く途中でも、知った顔はいない。撮影場所に行くと先に着いた者から順に、雛壇に並んでいく。俺はゆっくり行ったので、結構上の段に並んだ。正面を向いて、カメラマンが何やら色々注文付けてき、その注文通り位置を変えたり、段を変えたり、詰めたりして、やっと撮影が終わる。撮影が終わった瞬間、列が崩れ人が混じり合い、やっと知った顔に出会った。「よっ!」と挨拶したのに、相手は知らん顔!「えっ?」と俺が驚いた顔をしたが、其奴はちょっと俺を見たきり何も言わずに出ていった。これは相当ショックだった。何?これは何?忘れられている?

ショックな状態のまま、2階に戻り会場に入る。席はクラス別ではなく「くじ引き」で決めるやり方。よって同じテーブルに違うクラスの人たちが着く。俺の席の両脇も違うクラスの人なので、全く分からない。笑いながら、「はじめまして」と挨拶したが、勿論たぶん中学時代何処かで会っていると思う。初めてなんてことはないだろうが、本当に「はじめまして」と言いたくなるほど知らない人だった。そう言う風に、同じテーブルの人たちに挨拶していったら「えー!忘れたの~!私······」と3人目の女性に言われた。えっ?同じクラスのあの可愛かった女子?そう言えば面影が~!

何はともあれ、そこは少し誤魔化して席に着く。暫くして前面1段上がったステージ横の小さなカウンターに、男女2人が立ち司会を始める。あっ、女性の方は覚えている。1年生の時、同じクラスで副委員長だった女子。あの人も変わってないなぁ~。

まず最初に、この5年間で亡くなられた方のお名前が報告された。うちらのクラスでも1人、全部で5人。そして隣のクラスの担任の先生が亡くなられた。違うクラスなのに、廊下で会うと気楽に声をかけてくれた優しい先生だった。皆さんの冥福を祈って1分間の黙とう。代表者の挨拶があって乾杯で宴会が始まる。校歌斉唱等があり、その頃になると皆んなアルコールが回り、あちこち席を移動して同級生だった奴やクラスは違っても仲間だった奴の隣に行って酒を飲み酌み交わし、互いの近況を話し合ったりして、会は和やかかつ賑やかに進んだ。宴が終わり二次会へと移る。二次会はクラスごと。俺達のクラスは全員そのまま二次会参加、15名。卒業時、クラスメートは全部で42名。亡くなられた方5名。連絡の取れない人が数名。用事のある人、県外でなかなか来れそうもない人も数名。それでも15名参加は、結構参加率いいんじゃあない?

とにかく、その日は愉しく、面白く、そして嬉しい1日でした。

ただ、年取ったなぁ~と思われたのはショックだった。