秣(まぐさ)の繰り言

もう70歳を過ぎた男の繰り言です。

ソラが死んじゃった!嘘だろう!嘘!嘘!

我が家の愛犬ソラが亡くなりました。令和7年3月30日の未明。動物病院で!享年15歳と2ヶ月(満年齢で)。

一昨年から散歩を嫌がり、時々ちゃんと歩いて、ああ大丈夫だと思っていたけど去年は、ちとヤバいかなと思い始めてしまった。その時はまだ14歳!せめて15歳まで頑張れど思っていた。今年の1月過ぎて、15歳をクリアした。トイプードルの平均年齢は15歳と聞いていたけど、あくまで平均!ソラは平均以上生きるのではないか?と思っていたのに!

今年になって、息が荒くなった!最初は鼻づまり、それを注射でおさえたところ今度は喉に痰が絡んだような症状を起こし、歩けない、立ち上がれない、やっと歩けたと思ったら変な方向に向かってヨロヨロ。エサも少ししか食べなくなり、寝てばかり、一昨日には食べたエサもそれ程多くはないにしても少し吐いてしまい、元気がなくなっていた。昨日、妻が大至急動物病院に連れて行ったが、検査結果が非常に悪いとのことで急遽入院となった。そして今日亡くなった。

亡くなったと連絡がきて妻と娘は「わーわー」と大泣き。二人して病院に遺体を引き取りに行き、戻って来てから亡くなった時の詳細を聞いた。先生によると、昨夜は水も飲んでエサも少し食べたそうだ。ただ朝、先生が見に行った時にはもう息をしてなかったと言う。死因は分からない。妻や娘も聞かなかったらしい。

ソラを仏壇の前にペット用のベッドに入れ、上からペット用の毛布をかけてあげ安置した。ずいぶん前に亡くなった親父やお袋に、ソラもそちらに行きましたと報告、いっしょに遊んでやってと願いました。それからペット霊園に電話、火葬をお願いしたところ翌日の11:00にとのこと。自家用車が無いのでレンタカーを手配。一段落ち着いたら今度はソラの好きだったフードやおやつ、よく着ていた服とベッドに毛布等を用意。明日、ソラといっしょに火葬場に。向こうに行っても、美味しい食べ物を食べ、寒く無いように暖かくいて欲しいと願う。妻や娘は夜遅くまで、ソラと家族が写っている写真を探し2部づつ印刷して1部をソラの側に、もう1部を我が家においておくことにした。

そして、夜12:00を過ぎて寝床へ。明日は午前中バタバタするかも。でも、その後はきっと寂しくなるのだろう。

ソラよ、安らかに!

 

2月6日再び脳外科入院

2月18日現在、今だ入院中。5日の夜、右手が急に痙攣を起こし動かなくなった。それが長く続き、病院に行かなくてはと思った。どこの病院が良いか考えたら妻と子供が脳外科に決まっていると。何故って?脳に障害が出たと思ったらしい。前科があるからね。そこで119番。こっちはガタガタ震えているのに、電話の長いこと。場所は何処?どんな症状か?などを聞かれたらしい。救急車が来てからも同じようなことを聞かれ、結局病院に着いたのは6日らしい。と言うのも目が覚めた日の朝、看護婦さんに「今日は何日何曜日」と聞かれ平然と「6日、木曜日」と答えたら「今日は8日、土曜日です。」と言われた。嘘と思ってスマホの「カレンダー」で確認したら間違いなく8日(土曜)だった。う~ん、5日の夜から9日の朝まで記憶がない。どうも救急車の中で気を失ったらしいとその時は思ったが、後日聞いたところ救急車の中でも、病院に着いた時もまだ意識はあったそうだ。よくよく聞いたら6日(木曜日)の早朝から8日(土曜日)の朝まで1日以上を薬で眠っていたらしい。(確かに救急車の中でも救命士と会話している記憶はあるが。)看護婦さんやスタッフさんから「よかったね!運ばれて来た時は本当どうなるかと思った」とか言われた。

排泄は最初はおしめ、動いてはダメだったらしい。2~3日経って紙パンツに変わった。その頃にはトイレに行けたから。ただ夜だけは、寝ている時にトイレ行きたいと思っても間に合わないかもしれないから紙パンツで。

食事も最初はお粥に細かく切った野菜や肉、或いはほぐした魚と玉子豆腐、果物のゼリー、コッブに入った麦茶。1週間経った夕飯から普通のご飯になった。夜も看護士の付き添いがあればトイレで用をたしてもよいとのこと。

おしめしていた期間は個室にいた。その後4人室に移ったが、その室の患者の声が(誰の声か分からないけど、たぶん俺の声)五月蝿いとのことで、一旦別の1人室に移り、それから別の4人室へと移動した。ところが、今度は隣の患者が五月蝿い。四六時中喋っている。看護士がいる時は、看護士に。居ない時は、独り言で、しかも泣きながら。俺は別に苦情を言った訳ではないが、4人全部ベッドがうまった翌日、隣の患者が別の室に移り、別の患者が隣に来た。この事実から俺がたぶん前の室から移されたのは、俺の声が五月蝿かったのだろう。

10日の夜から右肩がピクピクと痙攣し、それが2、3日続いたので13日の午前中に脳のCT検査となった。その結果は脳に異常なし。また、10日頃からリハビリも始まり、腕、足そして指の動きも去年ここを退院した時変わりなしとのこと。ただ1つ違うのは右肩が痙攣していること。

14日の午後、担当医が来て「右肩以外は別に異常がないし、右肩も痙攣ではなく別の要因かもしれない。生活に困る状況ではないので、いつでもいいので、一旦退院してもらい、様子を見ましょう。」と言われた。となれば、早い方がよい!土日は先生も休みだろうし、妻に迎えに来てもらわなければならないため、妻の都合も聞かなければ。

その日のうちに妻に電話。妻も先生に聞きたいことがあると言うので、17日朝9時頃、看護士に「18日(火曜日)に先生の話を聞き、19日(水曜日)に退院したい」と伝えた。

17日の夕方、看護士から「先生も、その日程で良い」と告げられた。但し退院する前にMRI検査をして「そこで何も無ければ」の話だけれど。

そして今日の15時に、言語聴覚士に呼ばれて「退院する前に心身機能やコミュニケーション能力を確認する必要がある」言われ、リハビリテーション科の言語聴覚士の室に行った。結果、昨年退院した時と変わってないとのこと。

まぁ、明日のMRI検査も大丈夫だろう。看護士もそう言っていたし。

今晩、明日退院するための用意をしておかなければ。たぶん明日10:00頃退院になるだろうと思う。さて、もう少しで晩御飯の時間。食事が終わって夜の薬を飲んだら、用意するか~!

令和6年12月5日 左目白内障手術の日 No.3

右は茶色っぽく、左は白っぽい世界

翌6日、朝は昨日より早く6:00ちょっと過ぎに起きた。今日、歯磨きは良いらしい。歯を磨いて朝御飯が来るのを待つ。朝7:00の点眼はない。ガーゼに眼帯をしているのだ、当たり前。                     

昨日と同じように7:45過ぎに朝御飯が来た。正直言ってガーゼが気になりあまり食事のこと楽しめなかったが、ご飯と味噌汁、野菜に緑豆が混ざっている煮物は覚えている。和風なのに牛乳が付いてきたのは昨日と同じ。

8:30、手術後の診察を受けるために昨日手術した7人がEVホールに集まる。皆んな金物の眼帯をしていてちょっと不気味。

7人で、うち1人車椅子だが1階の診察室の前に行くと、すでに長椅子に座って順番を待っている患者さんたちが一斉に振り向いた。まぁね、眼帯患者7人、ぞろぞろ連なって現れたら、そりゃあ驚くはなぁ~!                  まず屈折や眼圧検査、視力検査を終えて、その後中待合室で待っているとしばらく経って看護師に呼ばれ医師の診察となる。                       

医師は色々検査結果を見、実際に眼の状態を確認しながら「ちょっと炎症もあるが、まあこんなもんでしょう」と宣う。「こんなもん」って大丈夫かいな?

中待合室で待っている時、同じく手術した人たちとちょっと話をした。           

よく見えるようになったと言う人とボヤけて見えると言う人がいたが、俺は後者。ボヤけて見えると言うより目が粘付いているよう。後から考えると手術後の軟膏のせいじゃあ無いだろうか?

病室に戻ってパジャマからポロシャツ、トレーナーに着替え、荷物をまとめ、ウインドブレーカーも荷物の横に置いて、いつでも退院出来る状態で担当の看護婦さんが来るのを待つ。退院は10:00の予定。                     薬の用意が出来たと看護婦さんが言って来たのは、10:00を少し過ぎたころ。ナースステーションでくれるそうだ。看護婦さんが退院後の注意事項などを説明してくれ、その後ナースステーションで薬を受け取り、薬の説明を聞いて入院病棟を後にする。もっとも1週間後、今度は右眼の手術があるが。看護婦さんたちの1人に「また来週!」と言われた時は思わず苦笑い。                            薬は点眼液が3種類。1つは前から使ってたクラビット点眼液、あと2つはリンデロン点眼液とブロナック点眼液。種類ごとに5分以上の間をあける必要があると言う。しかも1日4回も。ちと煩わしい。また手術した方の目には水、石鹸等が入らないように、かつ目を強く押さない、擦らない、ぶつけないようにとも言われた。何かちょっと面倒臭いが仕方ない。                     1つ分かったこと、朝の診察の時は手術した左目がボヤけてよく見えなかったけど、退院する頃はハッキリと良く見えるようになっていた。ただ右と左では見える景色の色が違う。手術してない右眼では景色が黄色っぽいと言うか茶色っぽく見え、左眼では白っぽくクリーンに見えた。両目で見ると何やら疲れる!結局前のメガネをかけ、なるたけ左目で物を見ないようにすることにした。慣れている目で見る方が少しは良いかも。                      病院の支払いは後日、請求書を送ってもらい銀行振込みにしたため、もうそのまま家に帰っても良いようだ。妻に連絡し迎えに来て貰うことに。                       妻が来るまでの間、時たま左目を開けて回りを見てみる。最初の時よりは違和感がなく、ちょっと黄色っぽいかなと思う程度。でも長らくはそうしていられない。やっぱり右目だよりの黄色っぽい1週間になりそう。まぁ、来週右目手術した後、両目で見た世界はどう見えるかな?

さっきまで雨っぽい天気。今は雨が降っていないが、今日は一日こんな感じかな。う~んこれから先、視界は不明瞭~!

令和6年12月5日 左目白内障手術の日 No.2

白内障の手術、他の手術からみたら簡単なのか?結構滲みるし、眩しいし、寒いし!

白内障の手術って皆んな簡単そうに言うから、そんなに緊張してなかったのに、いざとなるとやっぱり緊張してくる。                        と思っていると、向こうから手術の終わった人が車椅子に乗って、押されながらやって来た。顔の左目側、眉から頬上部までの広い範囲にガーゼ、目の位置に金物の眼帯をしていて、「うーん、サイボーグみたい」と思ってしまった。俺も、ああなるのか~!

オペ看護師に助けられながら手術台にあがる。直ぐに仰向けに寝る。つかさず血圧計のカフがつけられ、心電図の電極も素早くつけられた。               「他の場所に液が行かないように」と左眼の所だけ穴のあいたシートを顔に張り付けられた。見ることは出来ないが、両手の甲にも穴のあいたシートを張り付けられたらしい。                              やがて、左眼を大きく開けられた状態で、何かよく分からない液を注がれた。「ちょっと滲みるかもしれないけど、我慢してね」と言われた。確かに滲みます。それも結構。出来るなら注ぐ前に言ってください。                    「麻酔が訊いてきたみたいだね」と言う声が聞こえる。                      「眩しい光が見えてくるけど、それも我慢してね」と言われ「はい」と答えたが、本当に凄く眩しくて、それでも我慢して光を見ていると光の中に黒い部分が見えてくる。だからと言って眩しさが和らぐわけではないので、ただひたすら我慢我慢。                     たぶん手術は順調に進んでいるんだろう。時たま医師の静かな声が、何を言っているか分からないけど聞こえてくるだけで、左眼が何かされている感触だけがあった。眼が乾かないよう何度か水なのか液体が注がれるたび光がボヤける。

どのくらい経ったのか「はい、軟膏塗ります」と言われ「はい」と答える。軟膏を塗られている感覚があったが「もうちょっと塗るか」と言う声が聞こえ、ちょっと不安になる。「はい、終わりました」と医師に言われた時、思わず「はぁ~」と息を吐き、自分が相当緊張していた事を思い知った。左眼回りのシート、手の甲のシートを剥がす時、皮膚が引っ張られて痛かった。歳取って皺だらけのため、なかなかシートの接着部が剥がれない。結構皺が長く伸びる。「痛て!」と思わず口に出る。にも拘らず看護師さんたちは笑いもせず淡々と作業を進める。手術時間は結構長く感じたが、実際は説明通り15分程度だったかもしれない。             看護師の助けを借りて車椅子に乗り手術室を出る。そこで看護婦さんが代わり、その看護婦さんが長く寒い廊下の中、車椅子を押して行ってくれる。入院している病棟のナースステーションに着くと今度は担当の看護婦さんに代わり病室へ。ベッドに横たわると「1時間経ったら来ますのでそれまで安静に。途中トイレに行きたくなったらコールで呼んで下さい」と言って出て行った。

1時間くらいはトイレ我慢出来るだろうと思っていたが、30分過ぎたころから尿意を感じてきて、1時間後看護婦さんが戻ってきた時には結構ギリギリだった。

今日この後は昨日と同じように過ごすだけ。違うのは点眼薬をさす必要が無いことくらい。日頃飲んでいる内服薬、吸入薬は入院中も普段通り飲み続けていて良いとのこと。と言っても明日の朝10:00には退院だけれど。                                      トイレへ行った時、手洗いの前の鏡を見て、その時はまだ病衣を着ていたためかもしれないが、顔半分ガーゼに覆われ、目の所に金物の眼帯がかけられている容姿に思わず「何処の戦場負傷者だ?」と突っ込みを入れたくなった。

別に小説を読む気にもなれず、ベッドの上でグダグダする。18:00ちょっと前に夕食がくる。何が出てきたかもあまり覚えてないが、さばの味噌漬けが2晩続けて出てきたことは覚えている。えっ?って感じ!                          夕食のあと、いつもの薬を飲んだらあとはやること無い。この夜は歯磨きも出来ない(1週間後の右眼の時は、つい忘れて歯を磨いてしまったけれど、でも夕食食べているのだから同じようなもんだろう、眼の下の皮膚などが動いている状態は)。                       9:00過ぎまでゴロゴロ。トイレに行って戻ってきたら病室の証明が消えていた。なんだかんだで疲れていたのだろうベッドに入るや直ぐに寝入った。

 

令和6年12月5日 左目白内障手術の日 No.1

手術直前、段々緊張してきた、ヤバい!

6:40分過ぎに起きた。病院のベッドの上。まだ横になっていたいが7:00には点眼しなければならない。トイレに行き用を済まし、手をよく洗ってベッドに戻る。点眼薬を用意し、7:00過ぎたことを確認して点眼薬をさす。クラビット点眼液という点眼薬を1滴さすだけで良いらしい。逆にさし過ぎると目に支障が出るという。昨日の昼、看護士が点眼薬のさし方を見せて欲しいと言うので、昼13:00の点眼の時、看護士の前で点眼液をさした。さし方に問題はないとのこと、点眼液を正確にさすことが大事。

入院したのは昨日の午前10:00。この病院は手術日の前日に入院、手術の翌日10:00に退院というシステムらしい。                    入院受付窓口で入院証書を提出し、入院する病棟と階数を教えてもらいそちらのナースステーションに向かい、そこの指示にしたがって入院した。4人部屋だった。                           その日はそれ以後何か特別な事をすることはない。何かただ手術の前日を規則正しく過ごすためだけの前日入院のようだ。               まぁ、病院の食事はそれなりに栄養を考えたメニューで旨かった。昼は具たっぷりのうどんでゼリーが付いていたし、晩御飯はさばの味噌漬けと野菜の煮付け、甘い緑豆も付いていて、そこに味噌汁、ご飯。量もちょうど良かった。テレビは頼んでなかったので観られないし、Wi-FiもないのでTVerNHK+も観れない(ギガが少ない、なるべくWi-Fiがある所で使用することに)ので、持ってきた小説でも読むしか、やることがない。夜9:00が消灯。9:00に寝るなんて早過ぎて心配だったが、電灯が消えて、たぶん数分で熟睡。途中夜中2度ばかりトイレに起きたが、普段から頻尿でそれくらいは起きる。起きた時は久しぶりに「よく寝たなぁ」と思った。

7:45過ぎに朝御飯が来た。ご飯に味噌汁、漬け物、豆腐に玉子を和えたもの。和風なのに何故か牛乳が付いていた。

8:30に、手術を受ける予定の人はEVホールに集まるようにと言われ、ホールに行く。手術前の診察があるようだ。ホールに行くとすでに女性が2人、その後次々と患者さんが来て結局女性4人、男は俺いれて2人の計6人。看護婦さんが来て曰く、すでに女性1人が1階の診察室で待機しているとの事。最終計7人が今日、眼の手術を受けるようだ。診察室に行き廊下の長椅子に座って順番を待つ。名を呼ばれ中に入り、しばらく待って診察を受けた。さっと診ただけで終わり。「じゃあ午後から手術です。良いですよね。」と言われた。勿論OKなんだけど、なんかもう少し丁寧に診てほしいと思った。医者にしてみれば簡単な手術かもしれないが、こっちにしたら大事な身体の一部にメスを入れる事になるのだから。

11:00点眼。俺が行う手術前の点眼はこれが最後。昼からは13:30に担当の看護婦さんが点眼薬をさしてくれるそうだ。その後14:30から点滴を開始、15:30手術で、その後1時間は安静とのこと。

12:00ちょっと前に昼御飯が来た。丼物で、御飯の上にほうれん草、人参、もやし、ゼンマイ、玉子、茹でた豚肉などがのっていた。他にきゅうりの塩漬け。味噌汁もあったが、2日続いてゼリーも付いていた。他を見ないで、丼だけ見れば一見豪華な食事にみえる。

食事が終わり、歯を磨いた後ベッドの上で小説を読みながら看護婦さんを待つ。13:30をちょっと過ぎたころ看護婦さんがやって来て、点眼してくれた後に「手術が早まりそうだから早めに点滴しに来ます。」と言う。「へーえ!手術早くなるんだ」と思っていたら、「先生、7人もいるから巻いているみたいです。」

直ぐ病衣を持ってきてくれたので、上半身裸になり病衣に着替え待つことに。と、14:00なるかならないうちに看護婦さんが来て点滴していってくれる。約30分後に看護婦さんが車椅子を押してきた。「早えー!」と思ったが、それに乗って手術室に向かう。病院内とは言え、廊下は寒い。手術室前で、担当の看護婦さんからオペ看護師に代わり中へ。                                 ヤバい!だんだん緊張してきた!                             ついさっきまで全然してなかったのに!

俺70歳、妻66歳。2回目の大阪旅行? No.10

興福寺は国宝、重文のオンパレード!全部見たいけど、ただ時間がな~い!

興福寺は「近鉄奈良駅」の近くにある。と言うことは、ここに来る時乗ったバス、つまり「ぐるっとバス『大宮通りルート』」で、逆向きの「近鉄奈良駅」方面へ向かうバスに乗ればいい。「春日大社本殿」の駐車場内にあるバス停を確認する。最初に確認したバス停が、近鉄奈良駅方面に向かう「ぐるっとバス『大宮通りルート』」のバス停だった。バスを待つこと数分。乗り込んだのは俺たち夫婦の他に数人。悠々と座れた。平日でもないのにね!                                    一応、運転手に確認する。                          「興福寺に行きたいんですが、どこで 降りたらいいですか?」                          「県庁前で降りてください。」                     うん?県庁前?それらしい建物ってあったっけ?ちょっと調べてみる。と、「奈良公園」の向かえの建物が県庁。あっそうか!バスに乗っていた時、奈良公園ばかりに目がいって反対側の方見ていなかった。この辺に県庁があるのか。目の前に奈良公園があるなんて、県民も親しみやすそうでいいなぁ~。とは言え、やっぱりバスの中では「奈良公園」の方に目が行く。                                 

車窓からの風景を見ていると、「県庁前」と言うアナウンスが聞こえ慌てて降りる。ここから駅の方へ少し歩くと「興福寺北参道」と書かれた石標があり、「奈良公園」脇の細い参道がある。大通りから、その参道の方へ曲がり「奈良公園」の情景を眺めながら歩いていく。

しばらくして「国宝館」の裏側に出る。この「国宝館」に行くことが目的の1つ。「興福寺」には国宝や重文などの建築物、工作物、その他色々と見るべきものが多数あるが、こと俺にとって、「興福寺」と言えば「阿修羅像」。「八部衆」のなかので最も有名な仏像だろう。俺は今回3度目の「奈良」で、1回目はよく覚えてないが、前回「阿修羅像」を見た時は本当感動した。やっぱり写真で見るのと、実物を見るのとでは大違い。真の「お姿」は実際に来て見ないとね。とにかく他の「八部衆」の面々と違い武装してないどころか上半身裸だし、下半身も薄い布や裳を纏っているだけ。三面六臂の異様な「お姿」なれど、幼子のごときふくよかな「お顔」に優しさと清らかさを滲ませ、厳しさの中に憐れみの表情が見られる。「お身体」も性別を越えた美しさに、つい見とれてしまった。

今回も「奈良」に来たならば「阿修羅像」は当然見に行く!と言うことで早速「国宝館」に入る。                         それにしても「奈良」の「興福寺」の「国宝館」って国宝の数が半端ない!重文より多いのではないか?                     もっとも展示物の脇に説明文があるから国宝か重文か分かるのであって、無かったら全然分からないのも事実。「へー!これも国宝、こっちも国宝!」と、最初1つ1つ確認しながら見ていたら結構時間がかかり、これはヤバいと慌てて第一本命の「阿修羅像」を探す。探し当てた後は、ゆっくり心いくまで眺める。やっぱりいいなぁ~。

十分堪能して、それから他の展示物に目を向ける。一応入口近くに戻って、最初から見ていくことに。とは言っても、ゆっくり見ている時間は無いので、さぁ~っと見るだけだけど。                          本当、国宝、重文有りすぎ。約30点だそうだ。ここまで多いと、見たい物を決めておいて、それを重点的に見たほうがいいのかも。でも何が見たいかもよく分からない。とりあえず「八部衆」と「十大弟子立像」はよく見よう。                       「八部衆」では「五部浄像」もいいなぁ。胸から上しか無いけど、可愛らしい少年の「お顔」でいらっしゃる。「天」を表しているとか。これで全身があったらと思ったが、いや胸像でいいのかも。あと「迦楼羅像」が面白かった。あの鳥の顔、なんか烏天狗のようだ。                          「十大弟子立像」はマスコミに踊らされている訳ではないが、「須菩提像」がいいという話なので、他の像よりはよく見た。確かに美男におわします。                   他はざっと見ていくだけ。と言うより通り過ぎていくだけみたいになった。

出口が近くなり、妻もトイレに行きたいと言ったので出ることに。でも後から思い返すと、勿体なかったなぁ~と。もっといっぱい見るべき国宝、重文があったのに。            国宝館を出てトイレの位置を探す。どうやら五重塔の少し南の方にあるみたいだ。妻もそんなに切羽詰まった感じではないのでゆっくり歩いて五重塔の方へ向かう。

国宝館の前、南側の通りを隔てて向かいにあるのが「東金堂」。この建物自体が「国宝」で、中に有名な国宝、重文が安置されているそうだ。ただ、どういう訳か閉館中だった。その隣が国宝「五重塔」。こちらも工事中で足場が掛かっていた。先に進むと普通の道路に出たので、間違えたかなと思い引き返す。

「南大門跡」へ行ける道との交差点で、妻がトイレの場所を聞きに国宝館へ戻り、俺1人「中金堂」全体が正面で見える中門跡に行く。この「中金堂」、昔に焼失し長年そのままだったのを平成30年に再建されたそうな。ここも国宝、重文が安置されているみたいだが、焼失後修復された文化財も多いとか。ネット上の情報だけど。                 

この時点で午後3時ごろ。昼飯も食べてないけど、このまま飯抜きかな?

妻がトイレから戻ってきて相談。午後7時20分伊丹空港発の飛行機に乗るためには、最低10分前には搭乗口にいること。保安検査所には20分以上前に通らねば。と言うことは最低限7時00分には検査所を通過してなければならない。検査所通過に10分もかかるとは思わないが、空港に着いて検査所まで15分みていればいいか?                     まぁ余裕を持って6時00分に伊丹空港に着くようにする。近鉄奈良駅から大阪難波駅まで約1時間とみる。大阪難波駅から千里中央駅まで36分。モノレールで千里中央から大阪国際空港まで13分。移動時間、待ち時間を考えなくても1時間50分近くかかる。と言うことは移動、待ち時間を考えると、3時過ぎた時点で大阪へ戻らなくては!

「南大門跡」の通りを西に向かう。「南円堂」の外観をじっくり見て、今度は北に。途中の道を西に方向転換。その通路の途中に「北円堂」があるらしいがよく見えなかった。「南円堂」は重文で、「北円堂」は国宝らしいが、どちらにも国宝、重文が安置されているみたい。時間もないし、どちらも拝観せず(もともと「北円堂」はよく見えなかったし)道を進み境内を出る。出たところが東向商店街。その商店街を北に行き、大宮通りとの交差点角が「近鉄奈良駅」。駅に着いて時計を見ると、もう4時近く。腹は減っているが、どこかで食べ物買っている時間もないと思う。疲れてもいるし。仕方ない、なるったけ早く伊丹空港に行き、そこでパンでも買って食べるかぁ!

駅のホームで電車を待つこと数分。始発駅は、いい!座れる!発車を待ちながら外の景色を眺める。やがて発車の時刻となり、ゆっくりと電車は動き出す。ずうっと外の景色を見ていたはずなのに、いつの間にかガタゴト電車の揺れに誘われ、自然と目が閉じていく。気が付いたら大阪難波駅。大急ぎで地下鉄御堂筋線に乗り換える。御堂筋線は梅田駅までなら行ったことあるが、その先は未知の領域。とは言え別に何があるわけでもない、普通の地下鉄。ただ大阪モノレールは、なんとなくワクワクする期待感があった。が、実際乗ってみるとこれも別に普通の電車とそう変わらない(車窓からの景色ももう暗くなっているから、よく見えないしね)。大阪空港駅で降りた時、振り返って「うん、やっぱりモノレールなんだ!」。でも静かだしガタゴト揺れないし、いいんじゃあない?

伊丹空港、チェックインの手続きをし、保安検査を受け、搭乗待合エリアにある美味しそうな店でパン、お菓子を買って腹を満たす。そこで、やっと落ち着く。御堂筋線なんば駅」に乗り換えてからここまで慌ただしかった。後は飛行機に乗って帰るだけ。飛行機がくるまでゆっくりとしよう。

スマホで今日の歩数を見てみる。なんと、1万6千歩以上。昨日は2万歩以上。こりゃあ疲れるわいなぁ~。

いや、本当に疲れた。でも、楽しかった。絶対また来よう!

俺70歳、妻66歳。2回目の大阪旅行? No.9

ブログ「2回目の大阪旅行?」細かいところの記憶がぁ~(-_-;) 病気のせいです。決して歳のせいで思い出せないわけではない!

今年2月の始めに大阪へ旅行に行った。去年9月に初めて大阪へ旅行に行ったから今年の2月は2回目の大阪旅行。その時からすでに半年以上過ぎた。その旅行について書き始めたブログも7月半ばくらいから、ずうっと中断していた。理由は簡単。その旅行から帰って4日後に脳出血をおこし緊急入院。退院したのが5月始め。その間、最初の3,4日はトイレにもまともに行けず尿瓶。その後少しずつ回復。でも、1ヶ月くらいは鉛筆を持つことは出来ても、絵も字も書けない状態。で、リハビリ兼ねてスマホ操作。タッチペンは使えた。旅行写真を眺め、LINEで妻と確認しながら記憶を手繰り、2回目大阪旅行のことをブログに書き始める。ある程度行数が埋まってきたら投稿と。それは退院したあとも、主に写真やパンフレット、拝観料などのレシートを参考に記憶を掘り起こして書いた。

ところが、退院して段々少しずつ日常の生活を取り戻すうちに、最初は「静かに大人しく無理しないで」が「これぐらいは出来る。これくらいはやってよ」になり、最後には入院前とはいかないまでも、ある程度家庭内のことが出来るようになり、それにつれて益々記憶が薄れていった。

そして現在。「2回目の大阪旅行?」の続きを書こうと写真を睨み付けながら、薄くなった記憶を無理やり捻り出して下書きを書いている。なかなか思い出せないのは病気のせいで、決して歳のせいではない!

と言うことで続き。「奈良の大仏」を見終わっての帰り。春日大社へ。

 

「大仏殿前駐車場」近くにいた、東大寺の係員とおぼしき人が教えてくれた「春日大社」行きバスの停留所は、ここに来た時降りた場所と同じ所にあった。しばらく待つとバスがやって来た。乗り込む時、念のため確認する。                  「このバス『春日大社』に行きますか?」                  「はい『春日大社本殿』には行きます。」                 うん?なんか朝、調べたこととちょっと違うような?

取り敢えず、このバスに乗り「春日大社」に向かう。森とは言えないまでも緑に囲まれた公園みたいな中、綺麗に舗装された道路をバスは走る。そして着いた所は、森の中の広い駐車場。その奥のバス停で降りると、確かにそのバス停は『春日大社本殿』と書かれてあった。周りを見ると、所々文化的な雰囲気の建物は幾つかあるが、ほとんどは緑、緑の森。その中、俺たちが降りたバス停近くに白い建物があり、その脇を2、3の人たちが奥に向かって歩いて行く。俺たちも同じように奥に向かって歩く。ちょっと行くと、少し離れた所を歩いている多くの観光客らしき人たちが見えた。

うん、あまり良く調べて無かったが間違いない。こういう時は多くの人たちが向かう方向に行けば、目的地に着ける。はず。             朱色の大きな鳥居があり、その鳥居をくぐって低い階段を上る。少し歩くと何か動物の像があり、その像の前で何人かの観光客が写真を撮っていた。何だろうと思い近寄ると、動物は鹿。その像の下には手水所。            そして脇の高札に「手水所にて手と口を清められ その後、左手の祓戸神社にてお参りをしてから御本殿へお進み下さい。」と書いてあった。でも、「時間無いしなぁ!」と言うことで、その鹿の像の前で手を合わせお祈りし、先に進む。参道石畳の両側、石の灯籠が並ぶ。

しばらく歩いていくと、左手に10数段?くらいの石段があり、そのさらに先、大きく鮮やかな朱色の楼門があった。後で知ったことだか、この門が「南門」で「春日大社正門」とのこと。

ところが、この時はそんなこと知らなかったので、ちょっと迷った。と言うのも、まだ先にも道があり、その道から観光客らしき人が数人こちらに向かって歩いて来ていたから。たぶん奥の方にも有名な観光スポットがあるのだろう。

でも「その楼門」の方に足を向けたのは、多くの人たちが「その門」に向かって歩いていたから。

「南門」の前に行くと「参拝受付」という立て札があり、奥の方に目を向けると歴史を感じさせる建物があった。妻と目配せ、時間が無いことを確認する。中に入らず外観を回って雰囲気を味わおう。                         これは、あくまで「時間が無いのであって、参拝料が無い」のでは決してない!

「南門」を後に「南回廊」を西に向かって歩く。端で北に向くと名称は「西回廊」に変わる。この「西回廊」には門が3つ。それぞれの門から中を覗くが、手前の建物が視界を遮り中の様子がよく見えない。まあ、いいけど。賽銭箱に「二重にご縁」がありますようお賽銭を上げて、ついでに「家内安全、身体健全」を願い、「御本社」を離れる。しかし、「南門」も色鮮やかだったが「回廊」も又、朱鮮やかな柱が建ち並び荘厳な雰囲気に浸れた。今度はゆっくりと「時間を取って」回りたいと思った。

帰りは、来る時とは違う道を通った。途中にも観光スポットらしい所はあったが「また今度」と念仏のように唱えて、バス停留所に向かった。

まあ、何はともあれ「春日大社」の雰囲気は味わえたと思う。今回はこれで満足しよう。次の目的地は「興福寺」。待っていろよ「阿修羅像」!