秣(まぐさ)の繰り言

もう70歳を過ぎた男の繰り言です。

俺69歳、今読んでいる本は、「なぜ秀吉は」です。

先週13日に、カズオ・イシグロの「日の名残り」を読み終わった。

予約しているライトノベルがまだ来てなかったので、なにげなく手に取って少し読み、結構面白そうだったので借りて読んだ。まあ事実面白かった。その読書感想は後日にして、読み終わってもまだ予約している本が来ていないので、次に借りたのが門井慶喜の「なぜ秀吉は」。で、今読んでいる最中。

俺は本の場合、純文学でも、大衆文学でも、極端に言えば漫画、童話でも何でも面白ければ良いと思っている。ただ、その面白さは、人によって感じかたが違うのだろうなとも思っている。

つまり、今読んでいる「なぜ秀吉は」は、俺が思い描いていた絶対的権力者「秀吉」に結構近い。ので、まぁ面白いかもと思って読んでいる。人によって面白いと思うかどうかは分からないけど。

子供の頃(今の歳からみたら10代は後半でも子供)から、吉川英治司馬遼太郎の「太閤記」に慣れ親しんできた俺にとって、もう「秀吉」の人物像が「太閤記」の「秀吉」になっていた。が、近年というか或いはもう十数年前からというか、その頃から書かれた歴史小説やテレビの大○ドラマとかで描かれる「秀吉」像が、あまりにも俺のイメージと違いすぎる。よって、歴史小説も好きなんだけど「秀吉」が出てくる小説は、あまり読まない。テレビは、しょうがない。音がないと寂しいし、画像がないと寂しいので点けている。が、「秀吉」が出てくる度に愚痴ばかり言っている。

近年の「秀吉」は、下品、下劣でしかも卑屈、戦に弱く、すぐに負けては逃げ回り、また口ばかり上手で、常に調子良く立回り、そのくせ偉くなったら平然と女子供を殺し、嫌がる女を無理やり自分の側室にし、最後に何を栃狂ったか朝鮮出兵という暴挙に出る。まさに最低最悪の人物として描かれている。こうなると全くのゲス野郎としか思えない。

いや、小説だから作者がどう書こうといいんだけれど。テレビだって視聴率を取るため演出家が色々考えてストーリーを作っているんだろうし。作家のかって、演出家の思惑どおりで描けば良いわけだし。所詮、フィクションだし。

ただ、このような最低最悪のゲス野郎に描くということは、何かしら根拠があるのかな?と思ってしまう。実際の「豊臣秀吉」がどんな人物なのか俺は分からないが、何かしらの歴史的文献、資料などがあるから、こう描くのだろう。

だた先程も書いたが子供の頃に読んだ小説には、このような下劣な「秀吉」はいなかった。吉川英治先生は、文献史料をあまり調べないで小説を書いたのだろうか?司馬遼太郎先生は、「人たらし」と、おべっか、ゴマすりとを間違えたのだろうか?それとも、全て分かっていて、敢えて別人の性格、人柄にして描いたのだろうか?

俺はまあ、ほかに講談やテレビ、そして何より漫画!に影響されて「豊臣秀吉」のイメージを作って来たので、純粋に吉川英治司馬遼太郎太閤記の「秀吉」とはちょっと違うと思う。影響を受けた漫画は、白土三平のたぶん「忍者武芸帳」だと思うが、その漫画では逃げ惑う百姓達を平然と刺し殺す「秀吉」が描かれていた。もっとも織田信長も、秀吉以上に酷い、そして残酷な武将に描かれていたけど。

俺の「秀吉」のイメージは、この白土三平の漫画と「太閤記」とを足して2で割ったような「秀吉」かな。

何はともあれ、近年の「秀吉」が実像に近いとすれば、「秀吉」は本当にどうにもならないゲス野郎だけれど、そんなゲス野郎に、むざむざ天下を取られたなんて、同時代の武将達ってみんな「秀吉」以上にゲスか、呆れる程の無能者か、はたまたトンでもない嘘つきか。と思ってしまう。

俺の中の「秀吉」のイメージは、「立身出世」のため、「生き残る」ため、そして何より「自分」のためなら、平然と人を「利用」し、「騙し」、そして必要なら「殺す」。が、それでも其れが、何か「輝ける王道」を行くための1つの通過点のような出来事で、ただ天下人に向かって、ひたすら走っているようなイメージがある。「利用」されたのは、丹羽長秀や三法師。「騙された」のは、清水宗治かな?織田信雄もかな?そして「殺された」のは、中国攻めの際の上月城に立て籠った女子供と、三木城の「旱殺し」で死んだ餓死者。地獄図とまで言われた鳥取城の「渇殺し」で死者の肉まで喰らって、それでも助からず死んでいった人達。にも拘らず、明智光秀を討ち、柴田勝家を下し、何だかんだあったけど徳川家康を臣従させ、四国、九州を平らげ後北条を滅亡に追いやり、伊達政宗切腹まで覚悟させた、その事績はやはり大したもんだと思うけど。

日本で、初めて天下を統一した人物(門井慶喜氏が書いていたけど、秀吉以前の清盛も頼朝も、ましてや尊氏やほかの権力者も、本当に九州から東北まで、天下統一を成し遂げた者はいないそうだ)は、やはり何かしら「凄い、人を惹き付けるもの」があるのじゃあないだろうか。

子供の頃読んだ物語、小説、漫画。子供の頃観た紙芝居、映画、テレビ。        それらには、格好いい主人公と綺麗な可愛いヒロインがいて、そして憎らしいライバルとトンでもなく強いラスボスがいるんだけれど、何故かそのライバルが、そしてラスボスも格好いいんだよなー!

今の人達には分からないかも知れないが、小林旭には宍戸錠がいたように。ジョーには力石が、星飛雄馬には花形満が、ケンシロウにはラオウがいて物語は面白くなると思うけど。

武田信玄には上杉謙信が、そして明智光秀徳川家康には豊臣秀吉がいなければ。その「秀吉」は、やっぱり大した人物の方がいいと思うんだけれどもねー。

これを書いている間に「なぜ秀吉は」を読み終わった。感想は?と言うと、うーん、微妙だなー。俺の持っていた「秀吉」のイメージとも似ているようで、やっぱり違う。小説として、面白いかと問われれば、うーんやっぱり微妙!なんか全てが中途半端な感じ。

「なぜ秀吉は」秀吉以外、誰も望んでいない朝鮮出兵を決行したのか?この本のなかにも、色々な説を取り上げているが、この小説の主人公である秀吉自身が述べている理由でさえ、脇の家康が違うと思っている。読んでいる俺さえ、違うだろうなと思うから、多分作者も違うと思っているだろうな。とすれば、いったい何この小説!

結局のところ、「秀吉」がボケて、現実が分からなくなり、幼児みたいな我が儘を通した。というところか?

でもね、確かに「朝鮮出兵」ってトンでもなく酷い暴挙で、愚行。許されない暴虐であり、批判されて当たり前なんだけれど、でも、ちょっと待って!

確かに「秀吉」以外誰も望まなかったかもしれない。けど、望んだ理由について「秀吉」がボケたせいか?身の程知らずのせいか?世界と言うものが分かってなかったからか?じゃあ「秀吉」以外の人達は、世界と言うものが分かっていたのか?

テムジンは、世界の広さを知っていて草原を走り抜けたのか?、阿保機は大帝国を創っても、なお大宋を望んだのか?阿骨打は南宋の大きさを知っていたのだろうか?奴児哈赤は?

これら「世界の英雄」は逞しく精悍で全てを知り、全てを受け入れる度量を持ち、世界を駆け巡る。

日本の英雄「秀吉」は、ボケて朝鮮に兵を出す。寂しいねー!

勿論、侵略された方からみれば、到底受け入れることの出来ない暴挙であり卑劣極まりない歴史的事実だけれど。